ジェムの映画、新発見!!

はじめまして😊♪♪ジェムです♪このブログでは、私の好きな映画、気になる作品、映画にまつわるあの場所など、毎日お届けしていきます♪♪🤩👐✨✨

私鉄経営モデルの生みの親✨『東宝株式会社〜小林一三〜』-映画会社の創業者シリーズ①

ハロー♪エブリワン✨ジェムです♪♪

ぶちあげました♪♪😁👍

映画会社の創業者シリーズ🌸

 

 

第一回はこちらの方♪♪


阪急阪神東宝グループ小林一三さん~』

 

をご紹介したいと思います~✨

‹‹(●´꒳`● )/››‹‹(  ●)/››‹‹( ●´꒳`●)/››
 
 
 
■プロフィール
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引用:

小林一三について | 阪急文化財団
 

名前:小林一三
誕生日:1873年1月3日
出生地:山梨県
 
【略歴】
1888年福沢諭吉氏が塾長の「慶應義塾」に入る
1892年:卒業後、「三井銀行(現:三井住友銀行)」に入社
1907年:恐慌の影響を受け、失業するも、知人を説得し株式を購入させ、「箕輪有馬電気軌道」の専務に就任、実質の経営を担う
1910年:線路通過予定地の沿線土地を買収、宝塚線・箕輪線を開業、残った土地の分譲を開始する
1914年:宝塚唱歌隊(現:宝塚歌劇団)を創立
1918年:社名を「阪神急行電鉄」と改め、神戸本線などを建設
1929年:日本初、鉄道会社直営のデパート・阪急百貨店を立ち上げ
同年:六甲山ホテルを建設・開業
1932年:東京宝塚劇場(東京の宝塚歌劇団の拠点)を設立
1934年:阪急社長を辞任し、同社グループの会長に就任
1936年:大阪阪急野球協会(現:阪急ブレーブス)を設立
同年:阪急グループ会長を辞任
1937年:東宝映画を設立
1938年:東京・新橋に第一ホテルを開設
1940年:第2次近衛内閣、商工大臣となる(~1941年)
1941年:貴族院議員として活躍(~1946年)
1945年:戦後の復興のため、国務大臣戦災復興院総裁に就任(~1946年)
1951年:東宝社長に就任
1957年:84歳で死去


参照元小林一三 - Wikipedia

 
 
小林一三さんのここがすごい✨

  1. 「乗客は電車が創造する」の名言も!私鉄経営モデルの原型を創造
  2. 儲けたお金でさらに多事業展開!投資と回収の連
  3. 田園調布一帯開発の陰の立役者
  4. 家族には、あの著名人も!!
  5. 財界屈指の美術品収集家『逸翁美術館

 


▪️「乗客は電車が創造する」
私鉄経営モデルの原型を創造🚃

潰れかけていた兵庫県の小さな鉄道の有望性を信じて、友人である銀行家にプレゼンをして、資本を手に入れ、新しいビジネスモデルを確立したのは、本当にすごいことですよね‼️

そのちょっと前に、銀行マンとしての出世の道が断たれ、失業するという、どん底の経験をされたからかもしれないですね🤔☘


 
 
▪️儲けたお金でさらに多事業展開!
投資と回収の連続✨

鉄道事業で成功しても、守りに入ることなく、事業で儲けたお金を使って、動物園を皮切りに、次々と新規事業を立ち上げ、大成功✨

小さな鉄道会社からスタートし、投資と回収を繰り返してグループ企業トップになり、財界での影響力をつけていったその手腕はすごすぎですね😬✨
 
私の身近で成功している経営者の方では、向山雄治さんが思い浮かびますが、

向山さんも、経営をする上で大事なことは、

「投資と回収」の感覚を身に着けていくこと

とよくおっしゃっています♪♪
 
会社員の方が、自分のためにお金を使う、

という時に、躊躇してしまうのは、

「回収する」という発想がないから

と教えていただきました♪♪
(p*`・ω・´*)q🌸


 
最近では、

「自己投資」という言葉で

エステや資格の勉強をすることを

勧められることがありますが

そこに「回収」する見込みがなければ、

単なる「消費」または「浪費」なんですよね

( *´﹀`* )
 


小林さんは、

その切り分けを明確にされていた

というエピソードが残っています😁✨


慶應義塾大学設立者の福沢諭吉さんが立ち上げた新聞社「時事新報」が経営難に陥り、

資金援助をしようと多くの慶應OBたちがお金を出す中、小林さんは、

慶應と縁があっても私と縁のない時事新報にわざわざ金を出すのか?」とばかりに拒絶。
他の慶應OBたちからは批判を浴びましたが、この時すでに小林さんは、

時事新報の先行きがどう転んでも好転しない

ことを見通していたと言われています😳🌈✨

 

事実、時事新報は、1936年に東京日日新聞と合同してしまいました☘

 

経営者を目指すのであれば、

こうした、感情に流されず、冷静に、

回収できるかどうか先読みする力

も養っていきたいですね♪

 

 


▪️田園調布一帯開発の陰の立役者

幕末から明治にかけて日本の近代化を担った渋沢栄一さんが立ち上げた会社「田園都市株式会社(現:東京急行電鉄)」の経営を依頼され、

名前も出さず、報酬も受け取らず、日曜日のみ、という条件で引き受け、玉川・調布方面の宅地開発と鉄道事業を進めたそうです✨

ス..ス...(゚Д゚(゚Д゚ノ(゚Д゚ノ)ノスゲー!!!

 

無報酬、名前もなしなんて、

ご自身が豊かだからこそできることですよね✨

かっこよすぎる、、、、‼️‼️‼️
 


 
▪️家族には、あの著名人も!!

なんと、小林さんの次男辰郎さんの息子さんが現東宝会長の松岡功さんであり、元プロテニスプレイヤーの松岡修造さんは、小林さんのひ孫にあたるそうです✨

 

また、次女の春子さんは、サントリー創業者の鳥井信次郎氏の息子吉太郎さんと結婚💓

春子さんは、サントリーの親会社、寿不動産の大株主でもありました✨

その息子の信一郎さんは、創業家の3代目として、「サントリーホップス」や「マグナムドライ」といった発泡酒のジャンルを切り開くキーパーソンとして活躍されたそうです✨

゚:*。(*゚д゚)ステキ*:゚
 


 
▪️財界屈指の美術品収集家
逸翁美術館

小林さんは、約5000点にも及ぶ個人コレクションを所蔵しており、亡くなられたその年に、コレクションを展示するための美術館が開館されました✨

大阪府池田市にある旧邸「雅欲山荘」を展示館としてオープン(現在は、展示館を移設し、小林一三記念館となっています)☘️

同敷地内には、室内楽コンサートを開くためのホールやシアタールームなども併設しています✨

ちなみに、「逸翁」は小林さんの雅号だそうです♪

 

 

🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸🌸

 

さすが、天下の東宝創業者ですね✨

こんなかっこいい生き方を私もしたいです

😬😁😊☺️🌈💓☘️✨

 

 

最後に、

小林さんの数々の名言をお届けしたいと思います♪

(ノ≧∀≦)ノ(ノ≧∀≦)ノ✨

 

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ。」
 
「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である。」
 
「成功の道は信用を得ることである。どんなに才能や手腕があっても、平凡なことを忠実に実行できないような若者は将来の見込みはない。」
 
「サラリーマンに限らず、社会生活において成功するには、その道でエキスパートになる事だ。ある一つの事について、どうしてもその人でなければならないという人間になることだ。」
 
「己を捨てて、人の夢に働くのが却って向上、昇進の近道である。」
 
「初めて会社に勤めると、誰しも一番最初に交際するのは感じのよい人です。しかし、私はこれには反対で、まず感じの悪い人に勇敢にぶつかっていくことです。こういう人は打ち解けると、感じのいい人よりむしろ親切で、本当の味方になってくれるものです。」


「百歩先の見えるものは、狂人あつかいにされる。五十歩先の見えるものは、多くは犠牲者となる。十歩先の見えるものが、成功者である。現在が見えぬのは、落伍者である。」

 

 

ではでは、また次回〜✨✨